演出を受ける立場で
僕が26歳の頃、今の劇団謎のモダン館を立ち上げた。
ちょうどその頃、長崎県松浦市出身の劇作家・岡部耕大先生の指導のもと岡部演劇塾という団体が設立された。
長崎県内のさまざまな劇団や、個人で活動している表現者が集まり、ひとつの作品をつくるという、かなり大きなプロジェクトだった。
若かった僕にとっては「いろんな人と一緒に芝居ができる」「外の空気に触れられる」そんな期待の方が先に立っていたと思う。
結論から言うと、僕はかなりのダメ出しを受けた。
技術的なこともあったし芝居の組み立て方、考え方、立ち方、発声、間の取り方。それまで自分なりに「できている」と思っていたことが次々と指摘されていく。
今思えば、指摘はどれも的確だったのだと思う。
でも当時の僕には、その一つ一つがなかなかに重たかった。
「否定されている」という感覚に近かったかもしれない。
演出を“する側”に回ることが多くなっていた時期だったからこそ演出を“受ける側”になるのは、正直しんどかった。
・言われたことをすぐに消化できない
・頭では分かっているつもりなのに体が動かない
・なぜダメなのか、腑に落ちない
稽古場に立ちながら「今、自分は何を求められているんだろう」
そんなことばかり考えていた気がする。
それでも、逃げなかった理由
不思議なことに途中で投げ出そうとは思わなかった。
悔しさはあったけれど「見てもらえている」という感覚も確かにあったからだと思う。
何も言われないことの方が実はずっと残酷だということをどこかで感じていた。
演出を受けるという経験
今振り返ると、あの時間は「演出とは何か」を体で知る経験だった。
演出とは相手をコントロールすることではなく、相手の可能性にしつこく光を当て続けること。
そして演出を受ける側には、それをどう受け取り、どう咀嚼し、どう自分のものにしていくかという作業がある。
その難しさと面白さを僕は26歳の稽古場で思い知らされた。
今になって思えば、あのときのダメ出しが、そのまま今の自分につながっているとは簡単には言えないかもしれない。
でも、演出を受ける側の気持ちがわかる。これは、今の自分にとって確かな財産になっている。
言われる側の戸惑いも、飲み込めない感情も、それでも立ち続けるしんどさも全部、知っている。
演出をする立場に立つこともあれば、演出を受ける立場に立つこともある。
その両方を経験した時間として、
岡部演劇塾での日々は、今も静かに残っている。
