緊張している自分を どう扱うか

僕は今でも稽古場に入ると少し緊張する。

本番前の大きな不安というほどではない。
むしろ、身体が勝手に反応する感じに近い。

呼吸が浅くなる。
背中がわずかに固くなる。
視野が、少しだけ狭くなる。


緊張は「感情」より先に来る

若い頃、緊張は気持ちの問題だと思っていた。

自信が足りないから緊張する。
慣れていないから緊張する。
どこかでそうやって自分を納得させようとしていた。

でも、いくつもの稽古場を経験するうちに緊張は感情よりも先に身体に現れるものだと分かってきた。

考える前に体が反応する。
緊張はコントロールするものではなく、「起きている現象」なのだと。


26歳の頃の稽古場

26歳の頃、岡部演劇塾に参加した。
県内の劇団や個人が集まり、ひとつの作品を作るプロジェクトだった。

その稽古場で僕はかなり厳しい指摘を受けた。
言葉を投げかけられる前から「次は自分だ」と分かった瞬間に体のどこかが先に構えてしまう。

緊張している、という自覚よりも早く、身体が反応してしまう感覚だった。


緊張するのは、舞台の上だけじゃない

演出を受ける場面に限らず、緊張する立場は日常にもいくらでもある。

面接を受けるとき。
オーディションを受けるとき。
成果発表をするとき。
アイデアを提案するとき。
演説をするとき。

人前に立ち、何かを差し出す以上、多かれ少なかれ誰でも緊張している。

でも、あるとき気づいたこと

ある時ふと、こんなことに気づいた。
緊張しているのは差し出す側だけではない。

面接する側も、
オーディションで見る側も、
発表を聴く側も、
演説を聴く聴衆もまた、
少なからず緊張している。

表現者が発信するのを待つ時間。
うまく引き出せるだろうか。
ちゃんと判断できるだろうか。
この時間を無駄にしないだろうか。

立場は違っても、その場に居合わせている以上、空気を共有している全員がどこかで構えている。

緊張は共有されている

このことに気づいてから、緊張の質が少しだけ変わった。

「自分だけが緊張している」という感覚が薄れ「この場にいる全員が、少し緊張している」そんな見え方になった。

緊張は個人の弱さではなく、場が立ち上がろうとしているサインなのかもしれない。

今、意識していること

今の僕は緊張を消そうとはしていない。
代わりにその場の空気を一度引き受けるようにしている。
緊張しているのは自分だけではない。
だからこそ、その空気にどう関わるかを考える。

演出を受ける立場であっても、ただ受け身になるのではなく、その場の一部として立つ。


僕は今も緊張する。
でもその緊張は、もう敵ではなくなった。

むしろ何かが始まろうとしている合図として、静かに受け取っている。